永山本家酒造場の歴史 1
創業と寄進の心
永山本家酒造場の歴史 1
創業と寄進の心
初代 永山橘太郎と
2代目 永山惣五郎と梅三郎
永山本家酒造場は1888年(明治21年) 初代 永山橘太郎によって創立されました。創業の地は現在も蔵を構える山口県宇部市二俣瀬、当時近隣には4軒の酒蔵があり、幸い蔵が国道に面していた永山はその中心的な存在だったと言われています。1905年 初代が没した後、家督を継いだのは惣五郎と梅三郎の兄弟です。兄の惣五郎は実業家としての才を持ち、宇部の中心部に大きな販売場を設けるなど永山の発展に努めました。その頃から地域の発展や祭りごとにも関わりはじめ、今も蔵の近くに在る日吉神社やこうやま橋は兄弟によって寄進されたとして人々の記憶に残っています。現在永山本社オフィスのある家屋は、昭和3年 天皇即位を記念し兄弟が二俣瀬市役所として寄贈したものです。
3代目 永山大八郎と
4代目 永山義毅
昭和17年 3代目の当主となった大八郎は蔵の発展に努めながら小学校の改築など地域への貢献を続けます。しかし年を追うごとに人々の心は日本酒から離れていきました。日本酒全体の出荷量は1973年のピークに現在に至るまで、上向くことなく下降を続けています。1998年 創業110年を迎えた翌年、4代目となった義毅は蔵を立て直すべくアサヒビールの2次特約店となります。そして1987年のアサヒスーパードライの発売を契機にアサヒビールはトップメーカーになります。当時この契約は随分と永山を潤しましたが、その後の酒販法の改定やディスカウント店の出現によりその繁忙期は長くは続きませんでした。それから10数年後の5代目貴博に至るまで、永山本家酒造場はさらなる事業の転換を必要とする時代に入ります。